感情のトリセツ
当塾の『スピロジスト養成講座』は、
いろんな言い表し方ができる講座です。
「人生の操縦桿を取り戻す講座」
であり、
「思い込みを外して、より自由に軽やかに生きていく講座」
であり、
「潜在意識のリミッターを外して、持てる能力を最大限に開花していく講座」
でもあり、
「本来の自分を生きていく講座」
であり、
「一人一芸のお役目(使命)に氣づく講座」
であり、
「高次の自分とツーツーになっていく講座」
でもあり、
「陰陽統合して次元上昇していく講座」
でもあります。
この講座は、現在、
4期後編と 5期前編 が開講中なのですが、
ここまで やってきて、
新たにもうひとつ、
当講座の大きな特徴が わかってきました。
それは、これまでの人生を過ごしてこられる中で、
自分自身の感じた感情を
自分で ちゃんと感じて、
何かの形で顕在意識で把握する
ということを続けてきている人に
とても活用していただける、
ということです。
言い換えると、
「人生の操縦桿」を取り戻していただくにも、
ご自身の可能性を狭めている思い込みを外していただくにも、
より軽やかな波動になっていっていただくにも、
「本来の自分」を取り戻していただくにも、
「使命」に氣づいていただくにも、
「高次の自分」とツーツーになっていただくにも、
陰陽統合して次元上昇していただくにも、
ご自身の 感情 がとっかかり になる、
ということです。
「何かの形で」というのは、
まぎれもない 自分自身が 感じている感覚を
色でもいいし、
形でもいいし、
手触り感・感触でもいいし、
音でもいいし、
味でもいいし、
オノマトペ(擬音)でもいいし、
比喩でもいいし、
言葉でも もちろん いいので、
とにかく「自分の顕在意識で」把握してきている、
ということになります。
例えば、「怒り」や「嬉しさ」といっても、
いろんな 怒りや 嬉しさが ありますよね。
色なら、
青い感じの怒り、レモン色みたいな嬉しさ、
形なら、
太いトゲみたいな怒り、ふわっとした雲みたいな嬉しさ、
手触り・感触なら、
ヒンヤリした怒り、ふわふわ・モコモコした嬉しさ、
音なら、
すべての黒鍵を同時に鳴らしたような怒り、ラの音みたいな嬉しさ、
味なら、
辛くて苦い感じの怒り、甘〜い感じの嬉しさ、
比喩なら、
巨大ウニのような怒り、マシュマロみたいな嬉しさ、
オノマトペ(擬音)なら、
ぐっさり深く刺す感じの怒り、コロコロ・ふあっとした嬉しさ、
などなど。
どんな方法でもいいので、
自身にとって やりやすい方法で
自分の感じていることを
自分の顕在意識で把握してきている、
ということ。
ですが、結構 多くの方が、
自分の感情なのに、
「ちゃんと感じる」ということを
普段されていないし、
把握もしておられない、
というのが実際のようです。
それって、
少し強い表現になりますが、
自分が何を感じているのかも
自分で わかっていない
ということになるので・・
個人的には、
かなり キケンだな、と
思います。
なぜなら、私たちの感情は、
( 他人軸でない )自分にとっての本当のしあわせの方向に
私たちを導いてくれる「ナビゲーター」として
私たちに備わっているものだからです。
もう少し詳しくいうと、
自分を苦しめている無意識的な思い込み、
自分を制限し不自由にしている無意識的思い込み の在処を、
私たちの感情が 的確に教えてくれているからです。
私たちの無意識下の思い込みは、
「無意識下のものだから、どうしようもない」のではなく、
ちゃんと、氣づけるし、
氣づいて書き換えることができるように、
「ここにあるよ」「もう書き換えできる準備ができているよ」
と、私たち自身の感情が知らせてくれているのです。
その、感情が在処を知らせてくれる
私たちの思い込みを書き換えていくと、
これまで苦しんだり、ストレスになったりしていたことが、
「へ?」と思うほど氣にならなくなり、
「自分にはできない」と思ってきていたことも、
「いや、できるやん」と内側からの確たる感覚を持てるようになったりして、
私たちは、どんどん軽やかに、自由になっていけるのです。
なので、
せっかく備わっているナビ、
それも 自分用にカスタマイズされたナビ を
ろくすっぽ 使わないとしたら、
自分にとっての「ほんとうのしあわせ」の方向に
なかなか進まないことになってしまう…
と思うのです。
それなのに、なんで、
自分の感情を
「ちゃんと感じる」ことも
「顕在意識で把握する」ことも
しなくなってしまうのか…。
おそらく「持て余す」から。
感情、特にネガティブな感情などは、
扱い方がわからないと、
ほんとに持て余してしまいますよね… f^^;;
苦痛なので、
早く消してしまいたい、と思う代物です。
なので、
感情は、扱い方がわからず、持て余す
↓
ぼんやりとしか感じないように、
早く忘れるように、
ましてや、
顕在意識でクッキリ把握など
してしまわないようにして
やり過ごす
↓
( ナビゲーター を 棄てている状態になるので )
自分にとっての「ほんとうのしあわせ」の
方向がわからなくなる
↓
「借り物」の「しあわせの尺度」に
自分を合わせようと努力する
↓
がんばりが方向違いになり、
どこまでいっても しあわせにならない
という負のスパイラルが、
一般的になってしまっているのかもしれません。
スピリチュアルな学びの中でも、
自分に湧いてきた感情は、
どんな感情でも否定せず、ジャッジせず、
しっかり感じましょう、
味わい尽くしましょう、
と、いろんな方が伝えてくださっています。
にもかかわらず、
「感情を しっかり感じる・味わい尽くす」ことが
難しくなってしまっている方が多いのは、
厄介な感情の扱い方がわからず、
「とにかく持て余してしまう」が先立つから
なのかもしれません。
・・・というようなことを考えていて、
感情のトリセツ講座
(「しあわせナビゲーター」の使い方)
って、
あっても いいのかもしれないなぁ …
結構 役に立つのかもしれない …
などと、つらつら思っているところです。