かみうみ塾とは 〜 創設に際して 〜

「かみうみ塾」とは、何を目的に、どんなことをしているところなのか?
そもそも、どういう想いをベースに創られたものなのか?

それは、当然ながら、創始者である 私、神海自身の歩みと切り離せないものとなります。
当塾の理念と特徴をお伝えするにあたり、神海が当塾創設に至った道のりにも触れてまいります。
少し長くなってしまうのですが、お付き合いいただけますと幸いです。

ベースとしての「こころの専門家」

私、神海は、心理臨床歴 約30年、大学教員歴 約 20年、担当心理療法面接 約 13,000時間、
いわゆる「臨床心理学の専門家」として活動してきています。
高度専門職といわれる分野を職業とし、大学で教鞭を執っている――というと、
さぞかし順風満帆な人生を送ってきたのでしょう、と想像される方もいらっしゃるかと思いますが、
これまで三度死にかけ、10年ほど前まで、普通では体験しないような出来事が連続する、
結構、波乱万丈な人生を送ってきました。
振り返ると、このメッセージをお伝えしている今が、
物心ついて以降の人生の中で、もっとも穏やかで平和な時期となっているように思います。
のみならず、穏やかさ・平和さが どんどん増し、
魂の仲間との素晴らしい出会いが次々と訪れてくれる、
これまでにない、静かなワクワクが続く日々となっています。

臨床心理学という柱

「お仕事は?」と聞かれ、「心理臨床家です」「臨床心理を専門にしています」
「心理カウンセリングや心理療法が専門です」と答えると、
必ずといっていいほど、「その道に進もうと思われたきっかけは?」と尋ねられます。
確かに、私自身、人生のかなり早い時期から臨床心理の領域に進むことを決め、
大学院進学の際は、大反対された親と親子の縁を切ってまで、この道に進むことを選んだのですが、
残念ながら、「これが、この道に進んだきっかけです」と絞り込めるクッキリしたものはありません。
むしろ、たくさんのことが複合的に絡み合って、この道に進む要因となったように感じています。


ですが、小さい頃から、何をやっても親から「O.K.」と言ってもらえない――と体験し続け、
しんどさを感じていたこと、
家庭の中に張り巡らされた目に見えないシステムのようなものに、
えも言われぬ違和感とおかしさ(変さ)を感じながら、
何がどうおかしいのか(変なのか)明確に説明できず、
その見えないシステムに絡めとられてしまうことが苦しかったこと、
就学してからは、周りの級友たちに対して、
どうして そんな言動をとるのか わからない と感じることが多く、
内心 立ち尽くす思いになることが多々あったこと、
そして、それらを「解き明かすことで解決したい」と思っていたことは確かです。


大学院で臨床心理学を本格的に学び始め、面接でクライエントさんを担当するようになると、
その内面の理解のために、
一層、理論的な学びと 感覚的な学びを 徹底させていくこととなりました。


そのプロセスで学んだのは、
他者理解は自己理解なくしてあり得ない
ということ、
自分自身を知っていく作業(これは、自分の抱える“闇”と向き合う作業でもあるのですが)を
誠実に行い続けるかどうかが 心理臨床の「質」「レベル」を決める、
ということでした。


臨床心理学を本格的に学び始めた頃は、
文字どおり、自分の内側にある様々な「課題」「闇」と向き合い、格闘する日々で、
今、振り返っても なかなかに壮絶でしたが、
内的な課題(ブロック)や思い込みを解き明かし、解消していくのと並行して、
心理面接の腕が目に見えて向上していったのも事実です。


私にとっては、臨床心理学を学ぶことで、
親との間に感じていたしんどさ、育った家庭の中で感じていた違和感を解明でき、
それによって、しんどさも違和感も かなりゼロに近いところまで解消、
また、他者理解が進むことで、
周りの人たちの中に見ていた“わけのわからなさ”も激減することとなりました。
まさに「臨床心理学、ありがとう!」です (笑)


自分の抱える問題もクリアできていき、
それと並行して、専門家としての臨床力もアップするなんて、
これ以上言うことはありません (笑)
大学院生時代の私は、自身の問題を少しでもクリアすべく、
臨床心理学の学びを より徹底させていきました。

臨床心理学への失望

臨床心理学、特に、無意識を扱う 心理療法的な知識とスキルは、
対象者の精神的生命を左右する 繊細で強力なものです。

・他者理解は自己理解なくしてあり得ない
・自分自身を知っていく作業を誠実に行い続けるかどうかが心理臨床の「質」「レベル」を決める

この2つを確信した私は、「質のいい心理臨床家になりたい!」という思いも強かったので、
とにかく、臨床心理学を通して自己理解を深めることに一生懸命でした。

そして、これは自分の願望の投影だったのですが、
臨床心理学という学問体系の中に、
「自分と向き合う」ということから逸らさせないシステムがある、
と信じ込んでいました。


ところが、ある時、業界を揺るがす大きな出来事があり、その一連の流れを通して、
大御所とされていた、指導教官でもあった先生の “本性” を知るところとなったのです。
その先生は、常日頃から、学生に対して、
「心理臨床をするなら、自分自身と向き合いなさい」と指導しておられました。
けれども、ご自身は「自分と向き合う」ということから徹底的に逃げておられたこと、
逃げている自分を他人に悟られないよう、また自分自身もごまかすよう、
その豊富な専門知識をフル動員しておられたこと、
それらが、白日の下に晒されることとなったのです。
とても頭が良く、豊富な専門知識も持っておられたので、
高度に複雑に組み立てられた防衛に多くの人が煙に巻かれ、見えなくなっていたことでしたが、
出来事の影響で、ご自身が追い詰まって余裕を失われ、
複雑な防衛もあちこちで破綻を呈したことで、馬脚を露わすことになったのです。


このことは、臨床心理学も一つの「ツール」にしか過ぎず、
その使い方は当人に任される —- ということを示しています。
どの専門知識の場合もそうですが、その専門性が高くなればなるほど、
間違った使い方をした時に、周りに及ぼす被害は甚大になります。
この一件も まさにそうで、門下生はじめ多くの人の人生を変え、
心理業界や周囲の関係する人々に甚大な影響を撒き散らしました。


私自身の人生も、この一件で大きく影響を受けることになりましたが、
それだけでなく、
臨床心理学という学問体系は、
「自分と向き合う」ことから逸らさせないシステムを内包している、
だから、臨床心理学は、きちんと学べば学ぶほど 間違った使い方をされることがない、
と信じ込んでいた私には、その点でも大打撃となりました。
あれほど素晴らしい働きをする臨床心理学、間違いなく人の人生を救う臨床心理学も、
たとえ高度な知識・スキルのレベルに達していたとしても
間違った使い方が可能で、
それによって甚大な被害をもたらし得る――ということに、深く失望したのでした。

沈没状態から

その出来事からしばらくの間(5年間ほど)、
その臨床心理学の限界を超える方法について研究がされていないか、必死で探し続けました。
けれども、どんなに調べても、そのような先行研究はありません。
解決法を見つけられない私は、もがき、沈没し、
やっとのことで得た大学教員の仕事をしながらも、
自分が失望している分野を学生さんに教えていていいのだろうか…と、
大学を辞することも考えるようになっていました。


そんなある時、ふと、
臨床心理学の限界を超える道を誰も見つけていないのなら、自分が見つければいい…
という思いが浮かびました。
文字どおり「手探り」の道、見つけられる確証もありません。
でも、こうして失望して沈没しているより、はるかにマシだと思いました。


それ以降、人の精神活動にかかわる領域、人を成り立たせていることにかかわる領域、
すなわち、近隣領域である脳科学や精神医学をはじめとして、
量子物理学、生物学、人類学、文化学、哲学、宗教学、社会学、経済学、デザイン学 等の
領域の研究成果を猟歩し、それらを心理学を核に統合して、
人間存在についての理解を深めてきました。


端的に言うなら、
いつの間にか「自我の学問」になってしまっていた心理学を、
本来の「魂(プシュケー)の学問」に戻したい・・という思いでした。
それに繋がりそうな研究はすべて調べる —- という横断的な研究スタイルをとったのです。
止むに止まれず採った方法ですが、
これは日本のアカデミックな世界では忌み嫌われるスタイルで、
その後の出世や より有利な転職などは 一切望めなくなることを意味していました。

新たな、そして 改めての氣づき

そうした研究をしていく中、私自身について、
新たに(というか改めて)氣づかされる出来事が続くこととなりました。
それは、私が、生来のサイキック ( クレヤボヤンス、クレヤコグニザンス ) でもあった、
ということです。


(一般に「サイキック能力」と呼ばれているものは、何も特殊な人だけが持つものではなく、
 実は、すべての人が持っているものです。
 それが、まだ潜在的なレベルに留まっているか、
 ある程度 開いているかの 違いにすぎません。
 私の場合、小さい頃から、ある程度 その能力が開いていた –– ということです。)


ただ、自分にとっては、その感覚が あまりに “当たり前” だったので、
他の人と違っているとは思わず、
他の人も自分と同じように感覚していると当然のように思ってきていたのですが、
どうやら違う、ということを、
これでもか・・というほど繰り返し体験させられることになります。


私にとっては、それまでの育ちの中で、
「他の人と違っている」というのは、どちらかというとマイナスの、
自分を 不利な状況や 困った状況に 置きかねない要素と感じられてきていたので、
なかなか心底認める気持ちになれず、ずっと「そんなことはない」と否定してきていたのです。


その不安を超えて、
「自分がクレヤボヤンスであることを認めよう」と
肚をくくったのが、2017年のことでした。


そのことを認めて、改めて振り返ると、
小さい頃から、
なぜか母に「お願いだから普通にしていて」と よく言われたこと、
幼い私にとって “当たり前” のことを親に見つかった時、
なぜか とても気味悪がられ、
「二度とやってはいけない」と きつく叱られたこと等が
次々思い出されてきました。
視える人には普通でも、見えない人には奇妙と思われる言動を とっていたのかもしれません。


子どもの頃の私は、そうした親の言動から、
“ 私が本来の私でいると 親に疎まれる、嫌がられる” と感じ、
自分のことを “何かいけない存在” のように感じていたところがありました。
しかし、親としては、我が子が世間から排除されないかと心配したのでしょう。
また、今思うと、私の本質を誰よりも大切に扱えていなかったのは私自身だったとも言えます。
自分を知り、受け容れ、自分で自分を大事にしていくことの大切さを、改めて思いました。


また、「手探り」の一環で、自分的に信頼できると判断した、
あるスピリチュアル系のセミナーに参加したのですが、
そこでは「スピリチュアル三大スキル」と言われる、
リーディング・クリアリング・ヒーリングを教えてもらえることになっていました。
手法として、まずリーディングができないと、クリアリングもヒーリングもできないので、
リーディングの練習から始まったのですが、
説明していただいて、「はい、やってみてください」と言われた時の最初の感想は、
「えっ! これが リーディング ?! 」でした。

というのは、「リーディング」として教えていただいた方法は、
私が、ずっと昔から使っていて、とても馴染みのあるものだったからです。
自分が当たり前のようにやってきていたことは、
スピリチュアルの世界で「チャネリング」「リーディング」と呼ばれることらしい・・・
と初めて知った瞬間でした。

したがって、私の心理臨床も、
「臨床心理学の知識とスキル + リーディング」という方法で やってきていたことになります。
そのことに初めて氣づく機会となり、それで合点のいくことも出てきて、
とにかく大収穫のセミナーとなりました。

( 合点のいくこと、というのは、私の心理臨床の特徴についてです。
 心理臨床を始めてしばらくすると、
 その人の “臨床スタイル” がいやでも鮮明になってくるのですが、
 私の場合、標準的な面接の7分の1から5分の1の期間で
 クライエントさんがよくなっていく —- という傾向が、クッキリしていたのです。
 研修会や 学会で ケース発表するたびに、
 「発表された以外に無意識でやっていることがないと、このような展開にはなりません。
  そこを意識化して言語化して発表ください」と言われ続け、
 自分としては、教科書どおりにオーソドックスにやっているつもりだったので、
 どうしてなのか理由がわからず、20年来 途方に暮れていたのです。
 それが思いがけず解明されることとなりました。)


また、そのセミナーの中で、クリアリング(ブロック・シフティング)に取り組んだ時も、
思いがけない発見がありました。
自分としては、クリアリングする対象であるブロックや思い込みが
比較的よみとりやすい一方、
セミナー参加者の多くが、その読み取りに苦労されたり、
ぼんやり曖昧にしか捉えられなかったりしておられた、という点です。
おそらく、それは臨床心理学的な下地を持っているかいないかの差だろうと、
私には思えました。
もともと、臨床心理学は、
スピリチュアルの世界で「ブロック」とか「思い込み」と呼んでいる
潜在意識下の内容やダイナミクスを読み取る専門領域だからです。
そこの知識と実践が既にあったことにより、
私には、クリアリングも非常にやりやすいものとなっていたようなのです。


また、臨床心理学の知識があると、自分で自分の「ブロック」にも氣づきやすく、
自分のブロックの クリアリングが やりやすくなるため、
結果として、より高次のエリアに安定的にアクセスしやすくなり、
リーディングの質や精度が上がることもわかりました。


さらに、その目で見渡すと、
ヒーリングセッションとして行われている中の
「クリアリング」「ブロック・シフティング」( 潜在意識下のブロックを解除すること)の多くが、
曖昧でぼんやりした形で行われているために、
しっかり ブロックを解除できていない、ということにも氣づきました。


つまり、私の辿った経緯を踏まえると、
臨床心理学をベースにして心理面接をしている方に、スピリチュアルな視点を持っていただくと、
クライエントさんが よくなっていかれるのが早くなり、
スピリチュアルなセッションを行っておられる方に、臨床心理学の基礎知識を持っていただくと、
ご自身のクリアリングが進んで、リーディングの精度が上がり、
クライエントさんのクリアリングも的確でパワフルなものなっていく、ということです。
「スピ×心理学」の手法は、かなりパワフルで、お役に立つものと言えます。

手探りだけど、手探りでない

あれやこれやの「手探り」の中、さらに、もう一つわかってきた自分の特徴がありました。
それは、読んだり聞いたりすることが “引き金”となって、
今生を超えた「普遍的な智慧の記憶」の蓋が開くところがある ―― ということです。
その蓋の開いた「智慧の記憶」に照らすと、
語られていることが真実かどうか「なぜかわかる」のです。

猟歩してきた分野には、当然ながら
精神世界(スピリチュアル)と呼ばれる領域も含まれるのですが、
現在の精神世界領域の情報は激しく玉石混交です。
けれども、この性質を用い、「智慧の記憶」と照らし合わせると、
「石」に振り回されずに済むことになります。

「手探り」なようで「手探り」にならずに済んできたとも言え、
これは、とても ありがたいことでした。

そのようにして、ふるいにかけた精神世界領域の智慧や叡智も、
私自身の人間理解の中に組み込んできました。

私の重ねてきた心理臨床は、こうした人間理解に基づく援助実践になります。

系統立ててわかったこと

それらの積み重ねの上、ようやく今、「魂の学問」として、
ひとまとまりの系統立ったものが できてきたように思います。

たくさんの専門領域にまたがる知見ですが、
それらを貫いているのは、
「宇宙の法則」と呼ばれる、エネルギーや周波数が鍵概念になる事象の捉え方です。


「エネルギー」という視点に立つと、嘘も ごまかしも 通用しません。

また、さまざまな能力やスペック、スキルなども、あくまで「ツール」で、
( たとえば、頭の良さ、容姿の良さ、スキルの高さなども「ツール」に過ぎません )
大切なのは、その使い方であり、
「ツールの遣い手」である私たち自身、その「在り方」こそが
最重要であることが明白となります。

「ツール」の性能がよければ、それだけで素晴らしいわけではなく、
その「ツール」を、
どのような「在り方」で、
どんな「意図」に基づいて使うのか、
そうすることで、どのような質のエネルギーを宿したものを この世界に現すのか、
その結果は、すべて発信元の私たち自身に返ってくる――
それが私たちの宇宙であることを知って、生きていく・・。


これこそが、私が探していた世界でした。
正確には、「探していた」というより、
「心の深いところで知っていて、もう一度 見たいと願っていた」世界でした。


出発点は、「臨床心理学の限界を超えたい」というものでしたが、
横断的に研究して、系統立てて整理してきて わかったのは、
「魂の学問」を通して「私たち自身を知っていくこと」は、
そのまま「私たちが生きている宇宙を知っていくこと」であり、
その学びを通して「宇宙の法則」を自分の中に落とし込んでいくと、
私たちの人生のすべて、
すなわち、「健康」や「お金」や「人間関係」「パートナーシップ」など
主要事項すべての流れが変わり、整っていく、ということです。


私たちは、誰もが、その内側に「光」と「闇」を抱えています。
そこに例外はありません。
そして、ひとりひとりが責任持って、自分の「光」と「闇」を統合していくことで、
「唯一無二の その人」となっていきます。
ここにも例外はありません。
「魂の学問」は、そのプロセスを助けます。


つまり、「魂の学問」として深化しつつあるこの内容は、
すべての人の「意識の次元」を変え、
「人生」を変えていくものである、ということです。

この ひとまとまりの智見を、
かつての私のように、「魂の学問」が必要と思ってくださる方に、
お渡ししたいと考えています。

この「魂の学問」は、各専門分野の研究が進むにつれ、
また、わたしたちの「記憶」が開くにつれ( = わたしたちが記憶を取り戻すにつれ )、
そして、わたしたちがアクセスできる領域が より高次になるにつれ、
これからも進化(& 深化 )を続けていく分野です。

ともに学び ( = 思い出し )、気づき、磨き合い、歩んでいこう、と
思ってくださる方々に集っていただけたら、この上なく幸せに思います。

そして、かみうみ塾とは

『魂の学問』を目ざした
「心理学」と「スピリチュアリティ」と「言葉の力」を融合させたメソッドを提供することで、
ひとりひとりが
自分軸をしっかり取り戻して、「本来の自分」を生きる人になっていくこと、
自分で自分のブロック(自身を縛る思い込みや信念体系)を解ける人になっていくこと、
自分で自分を癒すことのできる人になっていくこと、
今生の目的(使命)を思い出していくこと
をサポートする 学びの場です。


かつて、ドイツにあった「バウハウス」のような、
「学びの場」と「実践の場」、そして「人間性育成の場」がひとつになった
いわば『人生の学校』『魂の学校』として機能することで、
自他の魂を活性化させる人(魂振り人)を育み、
人類全体の精神性の進化のサポートの一端を担うことを使命とする塾です。

「かみうみ」とは・・・
各人の中に在る神(内在神)としっかり繋がって「内なる神を生きる人」を増やす、
すなわち 「(八百万の)神を産む」=「神産み」の意味でもあります ・・・。