身口意(その1)

「身口意」という言葉をご存知でしょうか。
「しんくい」と読みます。
真言密教で伝えられている言葉です。


最近は、宗教や仏教だけでなくスピリチュアルの分野でも
この言葉が そのままタイトルになっている書籍が出版されていたりするので、
知っておられる方も多いと思います。(^^)


「身」とは、立ち居振る舞い・行動のこと。
「口」とは、発する言葉。
「意」とは、考えたり、思ったりすること。


この3つを一致させることで、
真言密教では「悟りにつながる」、
精神世界では「すべてのことが達成(実現)できる」
とされています。



「悟り」をめざすのか、
「願望実現」をめざすのか
は 置いておいて・・



大事なのは、
ひとりひとりの人間において
この3つがバラバラであることが、
私たちの「軸」をブレさせ、
私たちの「本来のあり方」から遠のくことに繋がっていますよ、
ということだと思います。




日々を振り返ると、確かに・・

思っていること(意)と 言っていること(口)が一致していない、とか・・

思っていること(意)と 行動(身)が一致していない、とか・・

言っていること(口)と 行動(身)が一致していない、とか・・

もう茶飯事・・💦




「意」と「口」が一致していない時というのは、
たいてい、
“ これ(本心、本当に思っていること)を伝えるとマズイ … ”
という思いが働いている時ですよね。
( どう「マズイ」かは、イロイロだと思いますが・・)


では、どうしたら、「意」と「口」を一致させることができるのか・・
      
相手に伝えてもマズくないことだけを思うようになればよい、
ということになりますね (^^)


「えーっ! そんな非現実的な!」
「いやいやいや … 何を言ってるんですか」
「本音がバレたら、マズイことだらけなのは当たり前でしょ!」
という声や失笑が聞こえてきそうです。f^^;;



でも・・

本当に そうでしょうか?



「相手にバレるとマズイ思い」というのは、
実は、私たちの「葛藤的自我」さんの思い だけ、です。



私たちは多次元的な存在なので、
「葛藤的自我」さん以外にも、
たくさんの次元の たくさんの「我」があります。
(その中で、「葛藤的自我」さんは、いちばん低次の「我」になります。)


なので、「葛藤的自我」さん以外の「我」の思いは、
相手に伝わっても、まったく O.K. !
というより、
むしろ、相手に伝える方が、双方が ハッピーになれたり、成長できたりする
そんな内容ばかりなのです。




私たちの「葛藤的自我」さんのことを「小我」、
それに対して、
魂さんや 高次の私たちの意識のことを「大我」「真我」
と呼ぶことがあります。



これら2種類の「我」の特徴は、

「小我」の「我がまま」に従うと、
必ず 衝突や 諍い、争いにつながり、
何かを達成できたとしても必ず犠牲を伴うことになるのに対し、

「大我」の「我がまま」に従うと、
「我もよし、相手もよし、世界もよし」の
調和・平和・喜びの世界が展開する ーー

ということ。




「小我」さんに比べ、「大我」さんの方が、
時間的にも、空間的にも、はるか遠くまで視野に入っているので、
「大我」さんが「これがいい」と思うものが調和につながるのは当然で …


「大我」さんというのは「個」を超越した意識(我)なので、
その「我」が指し示すものは、
ある特定の「個」だけにとって よいものなのではなく、
すべての存在にとってよいものになる
とうのも、やはり当然なのです。




私たちの多くは、
「我がままは いけません!」
と しつけられながら 育ってきました。

その「我がまま」とは、「小我さんの我がまま」。

「大我さんの我がまま」には、むしろ積極的に従う方がいいのです。



「我がままは イケナイんだ」と強く思い、
「小我」さんの「我がまま」だけでなく、
「大我」さんの「我がまま」までも抑え込んでいるとしたら、
真面目に取り組む人ほど、
むしろ「本来のあり方」から遠ざかってしまう ーー という
泣きたくなるような話になるのです。



「大我さんの我がまま」と「小我さんの我がまま」を
一緒くたにしてしまうことは、
いわば「味噌も糞も一緒」にしている状態なのですが・・・

( 諺の言い回しって、ホント 絶妙ですよね … 😅)



「でも! でも! でも!」
「『小我さんの我がまま』と『大我さんの我がまま』の区別がつかないんです!」
と 叫びたい方もいらっしゃるかと思います。



でも、大丈夫!


これまで「大我さんの声」に耳を澄ますことを
あまりに してこなかったために
回路が鈍っているだけ。


改めて耳を澄ますことを始め、継続していくと、
必ず区別つくようになっていきます。


なぜなら、
私たちは、もともと
「大我」さんの声を聞き取れるようにできているからです。

( 長年、回路を使ってこなかった分、それなりのリハビリは必要ですが。)



そのためには、
「大我さんの声を聴き取るぞ!」と「決意」すること、
( 決意= “本氣で” 決めること、肚をくくること)
まず、それが出発点になります。(^^)





話を戻しますと・・


私たちが「意」と「口」を一致させていこうと思ったら、
普段から、「小我」( =葛藤的自我 ) さんの次元にいるのでなく、
「大我」( = 高次の自分 ) さんの次元にいるようにしていく、
つまり、
常に「視座を上げる」( = 意識を次元上昇させる ) ようにしていると可能
ということになります。



「身口意」という短くてシンプルな言葉に込められた意味のひとつは、
「常に視座を上げるようにしていきなさい」
ということのようです (^^)



いまさら ですが・・
深い・・




あと2つ(「意と身」「口と身」)については、
また改めて。