集合意識への刷り込み (進行形)


大晦日となりました。
2020年は、ほんとうに、コロナに始まり コロナで終わった年でしたね。


未知なところが多いなりの 正確な情報が必要なのに、
それが公にされない ーー
というモヤモヤが つきまとった一年
でもありました。



先日、放送大学のある先生が、何かのコラムに

コロナに関する ごく当たり前のデータが公表されないため、
国民が振り回された年だったと、自分の目には映る。
都道府県ごとの統計的に有意な人数を、
住所・性別・年齢・既往症などについて無作為に抽出し、
PCRないしは抗体検査を実施しさえすれば、
ある時点の正確な陽性率は出る。
その推移と 予め決めた基準値で、
「波」が来たのか、
「Go to」を継続するのかどうか等の
判断をしていけばよいのに。

といった 主旨のことを書いておられるのを読み、
ほんと、そのとおり!と思いました。


対コロナで繰り広げられている “おかしさ” “奇妙さ” について、
この方のように、ちゃんと 感じ、整理し、把握しておられる方も
少なからずいらっしゃるのだろうなぁ …
という安堵を覚えながら・・・


“ おかしい ” と感じていても、
偏り歪んだ情報に 何度も何度も接すると、
その見方・捉え方が入り込んでくる感覚、
いわゆる “ 刷り込まれる ” 感覚も、
日々 体験します。


私自身は、その “入り込んでくる感覚” に関して、
いったん自分の中を通過させて
“ ははぁ … 刷り込みというのは、こういうふうに進行するのか … ”
と、 “ 自分の感覚で ” 確かめたあと、
かき集め、ひとかたまりに丸めて、ボロンと吐き出す ーー
という作業をするのですが、
そのテの情報とは距離をとり、境界線をしっかり引いて 自分の中に入れない、
とするのが、“ まっとうな” 対応法になります。
わざわざ、こんな面倒で リスクのある方法をとる理由は、また別の機会に … 。
( ただただ、マニアックな話になるので … f^^;; )



ともあれ、今は、
集合意識に新たな刷り込みが行われていく、そのプロセスが、
かなり わかりやすい形で 展開されている状況で、
観察・解析には千載一遇のチャンスと言えるように思います。



刷り込みに対して どうしていくかは、
各々の選択になりますが、
” 引いてニュートラルに眺める目 ” を持っていると
見えるものが たくさんあるのは 間違いなさそうです。(^^)



今年も、あと わずかとなりました。
どうぞ 佳い新年を お迎えください!







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