魂の殺人
あるとき、
映画『Red』の監督、三島有紀子さんが、
『Red』( 原作:島本理生さん) の主人公・塔子について
語っている記事を読む機会がありました。
『Red』の主人公・塔子は、
瀟洒な家で、夫と娘、夫の両親と同居する専業主婦。
昔の恋人・鞍田(映画では妻夫木聡さんが演じています)
との再会を機に仕事を再開。
本当の自分に目覚めていく ーーー
という あらすじ なのですが・・。
この塔子のことを、三島監督は
「彼女は自分の中に尺度がない人で、
それが現代的だと思った」
と語ります。
「昔と違って、今は、ネットで
人の尺度を見ることができるし、
塔子は、それを取り込む器用さもある。
でも、自分の尺度はない」。
「自分が こうすることが周りを喜ばせる、と思い込んで、
それに従っている。
いわば、自分が作った塀に閉じ込められている」。
そして、そのような塔子の在り方を
「自分を押し殺している。
それは穏やかな自殺に近い」
と評します。
「穏やかな自殺」・・・。
なかなかインパクトの強い言葉ですが、
的を射ていると思いました。
何を殺しているかというと、
「本当の自分」。
「本当の自分」とは、
「自分の魂と響き合っている自分」です。
それを殺すということは、
この世で自分の「魂」を生きていくことを
放棄する
ということになります。
いわば、「魂の殺人」。
( 三島監督より強い表現になってますね… f^^;; )
でも、
このような女性、とても多いです… 。
現れ方が違うし、
ご自身で氣づいておられる割合が
女性に比べて少ないのは確かですが、
男性にも多いです。
社会的なモノサシで見れば、
十分 恵まれた生活、
世間的には、
しあわせ と言っていい生活、
けれども、
「自分自身を生きる」ということからは
遠く離れてしまっている生活 ーーー 。
真面目で、
努力家で、
優等生タイプの人ほど、
そこにはまりこんでしまっておられる割合が
高い氣がします。
よりよく生きたい、
そのための努力も惜しまない、
手抜きもしていない、
なのに、
どんどん しんどくなっていっている・・。
そして、
本当は、とても しんどさや 息苦しさを感じているにも関わらず、
世の中で見れば、
十分 しあわせな暮らしができているのに、
不平不満を持つなんて・・と
自分を責めていたり、
不満に思う気持ちを押さえ込もうとしていたり、
息苦しさ自体を押し殺そうとされていたりします。
でも、誰であっても、
「自分」でない「何者か」になって、
というか、
あたかも その「何者か」が「自分」であるように
生きていくのは、
とても しんどい です。
その暮らしが、
世間的に どんなに恵まれたものであっても、
「自分の人生」ではないので。
ご自身にとっては、
「自分の魂」とは響き合っていない
「偽りの自分」が築いた暮らしなので。
どこまでいっても、
虚しさが つきまとい、
「ほんとうのしあわせ」や
「本物の充実感」に
行き着くことは、決してありません。
社会の基準で言うところの
「そこそこ恵まれた暮らし」をしていくために、
自分で自分をDVしながら
生きているようなものだから、
苦しくて当然です。
むしろ、
苦しさを感じている方が、
「まっとう」な感覚が、まだ生きている状態
と言えます。
だから、その自分の素直な感情を
無視しないこと、
放置しないこと
が、とても大事になってきます。
( はじめ、「勇氣」が要るのは確かですが・・。)
「外」の尺度に自分を合わせ、
そこから はみ出ないように 生きていくことが
「ちゃんとした大人の生き方」であり、
「社会的に正しい生き方」だ、
と思ってきた・・という人ほど、
女性であれば、30代半ばぐらいから、
男性だと 40代に入るぐらいから、
名状し難い息苦しさに苛まれるようになられる ーーー
( 身体的な不調や症状として出される場合も少なくない )
と、これまでの臨床経験の中では
お見受けしています。
さらに、
「自分の人生、このままでは イヤだ!」
と強く思われるようになるのが、
女性だと 40歳前後から、
男性だと 50歳ぐらいから
というケースが とても多いです。
その思いに耳を傾け、
人生の舵を切り直していくのか、
魂からの切実な思いも、
これまでと同じように押し込め、
蓋をして、
生きていこうとするのか、
どちらを選択してもいい自由を
私たちは持っていますが・・。
これからの、目に見えないエネルギーの流れからすると、
「あなたにとっての『ほんとう』は何ですか?」
「それが、あなたの『ほんとう』ですか?」
と問うエネルギーが、
これまでとは比べものにならないくらい
強くなっています。
そして、これから、どんどん強くなっていきます。
この点が、これまでと全然違うところです。
これまでは、確かに、
ほんとうの思いを押し込め、押し殺す方が、
しんどさはあるけれど、
無難は無難に過ごせる、
しんどさと無難さとを天秤にかけると、
無難さから得られるものの方が大きい、
生き生きした感じは徐々に失っていくけれど、
無難には暮らしていける、
それが「大人」になっていくと言うこと・・
みたいな諦観が
暗黙に共有されてきた時代でした。
ですが、今は、もう
完全に違っています。
そのことを、まず知ってください。
これからは、
「 “ 自分にとっての ” ほんとう」からズレた言動をとるほど、
「本当?」「それ本当?」
と確認されるような出来事が続くようになります。
「ほんとう」をごまかしたり、
抑え込んだり、
氣づかないふりをし続ける限り、
それを問い質すような出来事が
文字どおり、次々に起こってくるので、
半端なく しんどい スパイラルになります。
これまでのように、
本心とは違う発言をすることで
「無難」な立ち回りができる ーー
というようなことも、
目に見えて通用しなくなっていきます。
( 言い方を変えると、必要なくなります。)
逆に、「エイヤッ!」と思い切って、
「ほんとうの自分」を生きることにした人には、
うまく ものごとが回っていくようなサポートが
どんどん やってくる ーー
そういう時代になっています。
「これまでの時代」の感覚からすると、
にわかには信じがたい、
という感じがするかもしれません。
では・・と切り替えるにも、
かなり思い切りが要るし、
「怖い」という思いが出てくる、
というのも、よく わかります。
よく わかるのですが・・
今、必要なのは「勇氣」です。
本当の「勇氣」とは、
自分の「外側」に向かってではなく、
自分の「内側」に向かって発揮されるものです。
今、それが最も求められています。
これまで「自分の人生」を生きてこなかった・・
でも、これからの人生の時間は、
ちゃんと「自分の人生」を生きていきたい!
「勇氣」をもって取り戻そう!
と、本氣で思っている方!
もしよかったら、
かみうみ塾を 覗いてみられませんか?