快適な人口密度
コロナウィルスの感染状況を見ていると、
前回、このブログに書いたような数字のトリックは あるにせよ、
・人口密度
・5G 網の整備の度合い
の2つと比例して感染者の数が多くなっているのは確かです。
5Gとコロナ感染者数の関係については、
政府も マスコミも 今後、決して取り上げることがないと思われますが … 。
電磁波については、すでに7Gまで開発されているという話もあり・・
とにかく、人体(肉体) にとって致命的と言っていいほど
負荷が大きい「見えない波動」への対策は、
各自、待ったなしで本氣で考えないといけない段階にきていますね。
で、今回は、「人口密度」の方を少し・・。
東京などを見ていると、「生物としての人間」にとっては、
明らかに、住みにくい環境です。
何より、人が多すぎ。
狭い土地に人間が溢れかえっています。
それに伴い、
・人口に対し土地が少ない
→ 高い土地代
→ 都心の家の高額化
→郊外に住宅地が拡大
→ 大勢が毎日 遠距離通勤
・人が発する刺激が過多
→ 防御反応としての人への無関心
・高い物価
・人工物が溢れ、自然から遠い生活
といった、さまざまなストレスフルな状況が生じています。
一言でいえば、
大なり小なり「非人間的にならないと適応できない環境」。
また、他エリアから東京を訪れると、すごく実感することですが、
東京という街のある土地自体が、
もともと人間が住み着くのに あまり向いた土地ではない、ということです。
端的にいうと
「人間に優しくはない土地」。
それを、ものすごく強い意志でもって、
人間が住んで活動できる土地にするべく手を入れ続けてきた、
というのが、Tokyo の歴史でもあります。
(そういう意味では、北海道なども、もともとは「人間に厳しい土地」ですよね。
それを強い意志で、人間向きに開拓し、変えてきたわけです。)
( 比較対象としては、早い段階から人が住み着き、文化を築いていた地域、
例えば、九州エリア や 畿内エリア などは、
気候風土的にも、土地の形状的にも、
生き物としての人間にとっては「住みやすい土地」です。)
そんな「生物的」にはシビアな条件にもかかわらず、
どうして東京に人が集まるのか。
簡単ですね。
「経済」と「情報」が集中しているから。
人間は、「生物」でもありますが、
「社会的」な生き物でもあり、「心理的」な生き物でもあるので・・
経済活動がしやすい、
多くの有益な情報が得られやすい
といったことを重要視するほど、東京は魅力的な街となります。
また、狭いムラ社会の 相互監視的な、息苦しい環境にいた方には、
人口が多すぎるが故の東京の無関心さは、
「放っておいてくれる場所」として、
ホッとマイペースで息ができる余地をもたらしてくれるものとなります。
( ムラ的なコミュニティは、マジョリティ [多数派] にとっては快適ですが、
マイノリティ [少数派] の人にとっては苦痛感高い環境になります。
日本は「同調圧力」が強いですしね。
東京は、何かのマイノリティである人にとって、
間違いなく「呼吸しやすい街」です。)
現在の東京の状況は、
「生物的」な快適さを犠牲にしてでも、
「社会的」「心理的」なファクター、
とりわけ「経済的」な便利さ・有利さを追求してきた結果
生じているといえるでしょう。
でも、「生物的」には限界に近い、ということも
多くの人が感じてきていたところです。
そこに、このたびのコロナの一連が起きてきました。
緊急事態宣言の発出などで、ひとたび通常の都市機能がストップすると、
大都市に住んでいるメリットは ほとんどなく、
むしろ感染リスクが高いということだけが残る、
ということに多くの人が氣づきました。
オンラインでできることが思っていたより多いことがわかり、
通勤の必要性も見直されました。
通勤の必要がなければ、東京近郊に高い費用で住む必要はなく、
土地のあるところに広くて快適な家を、安くで持つことも可能になります。
非人間的な通勤ラッシュに耐える必要もありません。
より人間らしい生活に戻れそうな感じです。
そんな状況を見ていて、ふと思ったのですが、
人間にとって「健全で快適な人口密度」というものがあるだろう、ということ。
それを数値ではじき出すこともできるんじゃないか…と。
人口が少なすぎると、不便です。
人がひとりでできることは知れていて、
やはり助け合いできるぐらいの数はいないと、
生活自体が立ち行かなくなります。
また、助け合いできるぐらいの人口があっても、
その規模が小さく、「ムラ」的であれば、
閉鎖性や、相互監視的な性質が
やはり生きていく上で息苦しいです。
一方、人が多いほど、対応する様々なサービスが整理・提供され、
快適さはアップします。
ですが、多くなりすぎると、
現在の東京やニューヨークが抱えているのと同様の問題が起きてきます。
じゃ、適正な人口密度って、どのあたりなのか。
過疎の村と東京のあいだの どこかに、それがあるはずなのですが、
誰か、数値で出してくれないかなぁ・・
2〜3の専門分野が連携すれば出せると思うのだけど・・
そんなことをツラツラ考えていました。
残念ながら、自分の専門分野である臨床心理学は
その数値を出すのに お役に立てないのですが・・
一極集中ではなく、
ほどよい大きさの町が、日本のあちこちにでき、
それぞれに、その土地に合った 独自の特徴を持ち、
それらが 緩やかに繋がり合っているような、
そんな暮らしがいいと思いませんか?
適正な人口密度の目安となる数値が出ると、
各都市も検証しやくなります。
例えば、大阪。
個人的には、大阪は「大きな田舎」だと感じているのですが、
「適正な人口密度」に照らすと どうなのだろう…?
多いのか、こんなものなのか …。
目安となる数値があると、いろいろ考えやすいですよね。
同様に、名古屋 や 福岡 は どうなのか?
また、「人間にとっての健全で適正な人口密度」と併せて、
人口密度と自然環境に与える負荷の大きさの関係についても、
数値化することができたら ・・ とも思います。
人として快適に過ごせ、かつ、自然環境への負荷を最小にできる
ギリギリのラインはどこなのか ーー
それを具体的に考える上でも、
目安としてあると建設的な議論ができる数値だと思います。
そんなことが数値化されたら
「土地の値段が … 」とか
「魅力ある街ランキングに影響が … 」とか
目先の利益にこだわる人たちは 当然 イヤがるでしょうし、
何らかの既得権益を握っている人たちもイヤがるでしょうが、
地球環境の ひずみようからすると、
現状の延長は、もはや 有り得ない段階にきています。
「地球で生きる種のひとつ」として、
スピ的には「地球の庭師」の役割を担う種として、
どう生きていくといいかを長期的な目線で考える上で、
そういう「数値」は、一度 弾き出してみていい「数値」だと思うのです。
こういうことこそ、
世俗の損得から一歩 (?) 距離を置いた「研究」の世界で
どんどん やっていくと いいのでしょうね … 。